通りかかった非日常

「みんな危機感無かったの?今更課金だとか問合せだとか何言ってんの」
そうだね、確かにそう。
いつかは終わるってのは分かってた。だから課金もしてたし問合せしてたこともあるよ。今始めたわけじゃない。

「アプリは明らかに儲け出てなかったでしょ」
そうだね、確かにそう。
でもこんなに早く終わりが来るって思ってなかったんだよね。

「問合せが企業を動かす!紙のお手紙も書きましょう」
そうだね、確かにそう。
そうだった事例がよそであったね。

「問合せより課金すれば?」
そうだね、確かにそう。
最終的にはそこだよね。

「いつ終わるの決まったんだろう、その気持ちを隠してツアーやってたのかな」
そうだね、確かにそう。
やりきれないね。

TLに流れてくるツイートひとつひとつに心の中で返事をし続ける。
相反する意見でも、どちらにも納得できる部分がある。
どちらの言い分も分かる。どっちかを切り捨てられたらもう少し気が楽だった。

この一週間、様々な考察と怒りと悲しみと渇いた意見と自嘲と自虐を見た。
混乱する非日常から少しずつ以前の落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
そう言った部分でも、我々にとってあの告知は天災であったのだなと感じる。

「ユーザーにとっては終了告知日が終了日で、それから終了日までは四十九日みたいなものだ」
そうだね、確かにそう。
もう終わったみたいな気分にもなる。

「まだ終わってない、諦めないで出来ることをやろう」
そうだね、確かにそう。
できること、何があるかな。

「XXしろって言われても、そんなのできない」
そうだね、確かにそう。
出来なかったら無理しなくていい。

めそめそと泣いてはいきなり妙にハイになったりと情緒不安定をすっかり満喫した一週間だった。

入口も出口も多い5次元コンテンツ、みんなの「やれること」はびっくりするくらいバラバラで錯綜し混濁し右往左往し、船頭多くして船山登る、結局最終的には元の位置でへたり込んでいるような気分になった。少なくとも私は。

「バラバラだからファンがお金を落とす場所もバラバラで。結果全部中途半端になったんだ」
そうだね、確かにそう。
ああ、だから減らしていくのかな。ひとつになるように。

アプリを残したい気持ちをEメールで伝え、紙の手紙はいったん保留した(これは電話で問い合わせをして分かったことがあったのでそのためだ)

なぜ終わるのか、なにがいけなかったのか、私は何をすればよかったのか、という答えが出ないことをまるで自分が主導してきたことの終わりのように考え続けるのをやめた。
やめてみると、そんなこと考えてたのは傲慢だとすら思う。

買い逃してたグッズを注文し、アプリはコツコツやっている。
イベント前に同じ時間帯に一斉にガシャを回そうという呼びかけがあった。
今はただそれが楽しみ。

FutureVoyagerばかり聴いている。